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遊びで創造の思い出~5 最終回~大太鼓神輿のその後

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   1980年9月、勤務先の運動会、その中の「日本の祭り」イベントで演技した
  大太鼓神輿、僕の設計、そして仲間と製作したモノでした。
  その大太鼓神輿のその後について、

   2010年4月、中国から帰国してリタイヤしました。21年に渡る海外生活を終えて
  帰国してその年は、自宅や基地の補修や生活基盤作り、そして西日本や九州への
  ドライブ旅行をして過ごしていました。
  その11月、地元飯能祭り観光をしました。近年日本各地で地域の街興しで祭りが
  盛んになっている、と報道をよく目にしていたので、ここ飯能もやっている、、と
  感心していました。
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  すると、何と大太鼓神輿が登場、、
  30年前に僕が関わった大太鼓神輿、と直ぐに分りました。
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   太鼓の皮、胴の絵柄は換えられて飯能太鼓になっていますが、それ以外は
   ほぼオリジナル、、よく手入れされていました。
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   地元の人々に愛されて活躍していました
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   そして銘菓飯能太鼓、お菓子にもなっています。
    (今日、渋谷へお土産に買ったお菓子)
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    1980年9月に「日本の祭り」での演技で使用した後、
    僕は親睦会活動をその年の年末で引退して、その後は本業の仕事に専念
    してスッカリ足を洗っていました。
    大太鼓神輿はその後何度か勤務先のイベントで再使用されていましたが、
    5年後ぐらいに近郊のある団体が譲って欲しいと相談が来たそうで、親睦会から
    その団体へ寄贈されました。多分1985年頃の事でした。
     その際、僕に支援依頼があって、団体の倉庫へ運び出して寄贈した時に
    同行して大太鼓神輿の取扱説明をしました。
    場所は飯能の町外れで亜炭炭鉱が見える所に有った倉庫でした。
    その団体が飯能祭りにこの大太鼓を再利用されたのでしょう、、

    政策から35年、今も多くの人々の楽しみになって活躍している大太鼓神輿、
    ありがたい事です。

    Wikipediaで「飯能まつり」で引くと
    大太鼓神輿が写真付きで

    太鼓みこし。2日目18時頃東町交差点で行われる山車と
    太鼓みこしの引き合わせは飯能まつりの見所の一つ。 

    と紹介されています。


     以上、、


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