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Prelude、ネット記事~2

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3代目の目玉は4WS
3代目は2代目のブラッシュアップ版だった。流れるようなデザインはさらに磨きがかけられ、このデザインの完成形となった。細いA/Cピラーはクリーンなキャビンを作り出し、同時に明るい未来を予感させた。時代はバブルに突入してイケイケだったのだ。

メカニズムでは何といっても量産車初の機械式4WSがユニークなポイントだ。これはハンドルが小舵角の時、後輪は前輪と同位相に、ハンドルを大きく切ると後輪は逆位相になるというのもので、例えばレーンチェンジや長いコーナーなどではリアタイヤのコーナリングフォースが高くなって安定志向になり、ハンドルを大きく切るような場面(大抵は低速だ)、駐車時などは小回りが効くようになる。速度などを考慮した制御はできないが、シンプルなメカニズムで大きな話題となった。

実際、早い操舵でレーンチェンジなどをすると後輪がグンと押さえつけられるような動きをするのが印象的だった。また壁すれすれに止めてハンドルを一杯に切って前進したらリアフェンダーは壁に接触するだろうか? というような軽口もあったのが思い出される。実際、レアケースでは起こるようだったが、その後あまり話題に上らなくなったので、その動きは理解されたのだろう。

個人的には4WSの理屈はわかるが、どうもリアがドライバーの意思とは違った動きをして、実はあまり好きにはなれなかった。

この3代目プレリュードは翌年登場した日産のS13型シルビアと激しくスペシャリティカーのトップ争いをすることになる。一世を風靡した紫門ふみの『東京ラブストーリー』が「ビッグコミック」で始まったのが1988年、そしてTVドラマ化されたのが1991年1月だったから3代目プレリュードはまさにバブルの時代に若者と共にあったのだ。


迷いを感じた4代目
1991年9月に登場した4代目はこれまでのデートカーからイメージを一新してスポーツクーペへコンセプトを変え、骨太のデザインになった。ここからプレリュードが築いてきたポジションへの迷いが感じられる。全幅も1765mmと初めて3ナンバーサイズになり、エンジンも北米仕様と同じ2.2リッターが搭載され、VTECエンジンでは200psの出力を出すに至った。

4WSは、制御に限界がある機械式から電子制御に変更され速度などのパラメーターが入るようになった点も新しい。しかしバブルの崩壊と重なったことで、スペシャリティカーの市場は急速に萎んでしまい、プレリュードもこの後凋落の道を辿ることになる。


現行NSXにも通ずる革新的技術を搭載した5代目
1996年から2001年まで生産されていた5代目プレリュードも、クーペの衰退を止めることはできなかった。あまり人気のなかった野生的なデザインの4代目プレリュードからオーソドックスなデザインに戻され、縦長のヘッドランプがポイントだったが、あまりにも特徴のないデザインになってしまい、存在感はさらに薄くなってしまった。

私にとって印象的だったのはスーパー耐久に参戦していた“九州のホンダ使い”との異名を持つ、黒木選手のプレリュードである。研究所の支援も想像されるがクラス区分的にも不利なプレリュードでしぶとく戦い続けた。彼らが使っていたのは、後のタイプRにつながるタイプSというモデルで、エンジンも赤いヘッドカバーの220psのH22Aを積んでいた。

また30kgほど重いATTS(左右駆動力分配システム)を使っていたのも興味深かった。軽量化が戦闘力の重要なポイントのレースでは大きなマイナスだったにもかかわらず、何とかモノにしたのはさすがだった。

旋回力を上げてタイヤを使い切るメカニズムは、のちにレジェンドやNSXの4WDシステム(SH-AWD)につながるもので、この時のデータが活かされているとしたら面白い。

この5代目プレリュードでスペシャリティクーペの幕は降ろされ、クーペはDC5型インテグラと統合される形になった。そのインテグラも2006年に終了した。

プレリュードに対してはその特異なポジションゆえであったのか実験的なメカニズムも投入され、多くの話題を提供してきた。今にして思えば、プレリュードのようなクーペが存在できた時代は輝いていた。


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