遊びで創造の思い出~1,2の記事ではアイコン作品の思い出でしたが、
今回は職場の親睦会(レクリエーション)活動の思い出です。
1979年、1980年の2年間、僕は職場の親睦会の役員を仰せつかっていました。
担当はアイコン局、しかしその年にはアイコン大会は無く募集活動ぐらいでした。
職場は5000人ぐらいの従業員が働く製造業工場の中のある現場課で800人ぐらいの
課員がいました。当時は職場の親睦会の行事には全員参加が基本で集団パワーを
見せつけるのがヨシの風潮が強く、各課で争っていました。
今はスッカリ時代が変わり前世紀の雰囲気ですね、、
年間行事は、1月の新春駅伝大会、4月新入生歓迎会(球技大会や凧揚げ)、
5~6月は各課対抗競技会、7月夏のキャンプ大会、9月運動会、11月も何か、
と準備を入れると切れ目なしのスケジュールでした。
土日は殆どその活動、平日も勤務前後に何時間か費やして家には寝るだけに帰っている
ような感じでした。
アイコン活動は少なかったので僕は主に力仕事のお手伝い、そして技術担当で
造り物や設備装置の据付運転などの役目で参加していました。
例:1979年4月 新入生歓迎凧揚げ大会
職場の各班ごと、約40ヶの大凧を上げて審査評価、競いました。
例:夏のキャンプ
1979年7月 川口湖畔のキャンプ(泊りは民宿)、公園の特設会場でお祭り騒ぎ
僕は電装担当で、電力会社から200A程の暫定電源を引いて会場の
電気照明や電飾、バンド電源を施工運転、
10人程のプロガールダンサーの舞台の電飾でカメラのストロボを多数使用して
装置を作ったりしました。その為、準備で新宿のディスコへ行って
どうしたものか、、研究しました。
当日は酔客からどうダンサーを守るか、も事前計画から実行まで、思い出に
なっています。
翌年7月は精進湖湖畔の広場で同様な行事でした。
行事の構想、企画、準備、実行、後始末の推進や予算管理、リーダーシップなど、
僕にはいいトレーニングになりました。
9月の運動会は凄まじいエネルギーを使いました。
5000人の従業員とその家族が楽しむ場で、日本の祭りのコンペがあり
各課親睦会が本気で競いました。
1979年9月、僕の親睦会からは、戸畑祇園大山笠を題材にしました。
仲間が書いた説明カンバン・・・人数が多いので得意な人が居るもので
自作しました。
300ヶを越える提灯を使った大山笠を3分間で組み上げ見越しにして100人ほどで
担いで練り上げる演技でした。
僕はこの大山笠、その神輿を担当して設計、そして製作を仲間の皆さんと進め
1ヶ月前から没頭していました。神輿の設計製作とは、意外なモノでした。
組立て式から精巧な加工組合せが必要となり、宮神輿製作経験者の先輩と
2週間ほど近くの建具屋さんに籠り、柱、梁、枠木を加工して職場内に
特設した組立てエリアに持込み組立てました。
演技前のヤグラ神輿の上からの景色
神輿の技術担当の僕は、演技中も神輿最上部で状況確認をしていました。
ヤグラ神輿から大山笠に変身する変化を大きく見せる為、
ヤグラを2段伸張(2m弱延びる)工夫メカを仕込み演技では上手く働きました。
残念ながら製作したヤグラ神輿、大山笠神輿の写真が見付かりませんでした。
下は本場の戸畑祇園大山笠のヤグラ山車の写真(ネットから拝借)
ほぼ同様外観で神輿にしました。
提灯を組付けた本場の戸畑祇園大山笠 (ネットから拝借)
僕達が製作して演技をした大山笠は本場の写真と同外観でした。
本番の演技では目論見通り進み素晴しい達成感、楽しい思い出になりました。
続いて翌年、1980年9月の日本の祭り、演技の最中の練り歩きです。
岐阜の古川祭りを基に創作した大太鼓お神輿、
この時も、僕が設計、製作を仲間の皆さんと進めました。
後日、次回の遊びで創造の思い出~4
に続きます。
以上、、、