Quantcast
Channel: bridletree with motorcycle
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1912

基地で改善提案、自分で採用実施

$
0
0
   暑い日が続きます、朝方女房殿と近くのホームセンターへお買い物、
  この数日間、家庭用品は5%、クルマ用品や工事材料は10%OFFのセール、
  女房殿は家庭用品、僕はガレージ用品と木材を買物でした。
イメージ 1
   ガレージ用品と木材、
イメージ 2

   昨春にネット購入した自然木材のベンチ、雰囲気が田舎風
  しかし直射日光に当たって座面に松ヤニが湧きだして座れませんでした。
イメージ 3

    買ってきた板材をタッピングで張り付けて使えるようにしました。
イメージ 4

   余った端材を使って
イメージ 5
    サイドスタンドが倒れ気味のSL350のスタンド下敷きに
イメージ 6
    床のシミはガソリンお漏らし、ガソリンコックの締め忘れでした。

    ついでにR69用のエキパイレンチ(簡易版)、アームが短いので
    力が入れ難いので柄を木材で延ばしました。
イメージ 7
   600mm長さの角材を組付けてボルト締め、これで腕トルクが掛けれます。
イメージ 8
    改善提案で採用、実施でした。

     昔の勤務先、改善提案制度がありました。・・・多分今も、、、
    その改善提案について、思い出しながら、

     僕が20才代の時代、改善提案にはお馴染みで親しんでいました。
    その制度の目的は個々の発想アイデアを活かして職場の改善進化を行い
    人材育成をする制度でした。
    入社して2年ほどは生産技術部門(会社)で生産設備の設計見習いみたいな仕事
    をしていましたが、現場をシッカリ経験しなさい、と同期入社全員15名が現場へ
    直行放出、僕はクルマのボデーを造る設備だらけの量産現場に移動しました。
    そこで黙黙と現場作業をしていた頃、技術的にハングリー状態から周りの設備や
    工程を眺めてアレヤコレヤと考えていました。
    そこで職場の改善提案で提案を連発、採用されて実施して貰ったり自分で
    時間を作り構想設計~部品加工~実施したりしていました。
    毎週毎に何件か用紙に記入して提出するのですが、多い時には10件以上を
    提出して、1件300円~500円ほどの報奨金が貰えイイ小遣い稼ぎに
    なっていました。

     半年ほどでその量産現場の設備メンテナンスの仕事に移り日常のメンテナンス
    業務の中で設備改善を改善提案の題材にしてマスマス加速しました。
    メンテナンスは予防と事後の2つがあり、求められるのは
    そのバランスで簡単に復旧できる故障は事後メンテナンス(突発修理)でも
    良いですが、前後工程に影響を出す程の故障は予防メンテナンス(故障前に対応)  
    が大事になります、、僕は主に電装を担当して予防メンテナンスを目指し、
    壊れる前に部品交換、そして壊れないように改良する仕事を進めていました。
    また電気シーケンスやメカを設備改造して設備のサイクルタイム短縮して
    生産能力向上も多く行いました。
    同期のメンバーは2年ほどで殆ど放出前の生産技術部門に戻りましたが、
    僕はそのまま量産現場に残りました。

     自分でやるモノで改善提案は連発、多くのポイントを稼ぎました。
    確かポイント15点で銅賞、25点で銀賞、50点で金賞、150点で記録賞、
    それらを突破していました。
    金賞では表彰状、盾、そして副賞は日帰り旅行でブリジストン工場見学とランチ、
    記録賞では副賞は1泊旅行でその頃賑やかだった熱海温泉に泊り
    島倉千代子ショーを観た記憶があります。(35年ぐらい前)

     5年ほど設備メンテナンスの仕事をした後、その量産現場の設備計画スタッフ
    になり新機種導入や合理化の設備、増量や自動化を推進する仕事に移り、
    関連部門(僕を放出してくれた部門)や業者さんとも仕事、自分達で自動機製作
    や改造工事なども行いました。
    その中でも、改善提案は継続して20代最後の年にポイントは300点、
    当時の最高賞であるH賞に達しました。
    特許取得には及びませんでしたが、実用新案には登録された提案がありました。

     このH賞の副賞は海外研修旅行で、僕が30才になった直後に初めての
    海外旅行で米国へ行けました。当時はまだ少なかった海外業務で初めての海外旅行
    が出張扱いで支度金が出てそれでスーツやスーツケースを用意しての
    出発でした。
    まずLAでは米国販売拠点を訪問、イロイロ品質の指摘を受けた後は市内観光や
    デズニ―で遊んで、サンフランシスコへ、市内観光そしてギャンブルシティー
    リノで豪華なショーや自動車博物館、その後オハイオへ飛び日本車を始めて
    現地生産を始めて1年目の生産工場視察や市内観光と米国の文化に少し触れて
    強烈な経験でした。
    それから6年後、機会があってオハイオへ赴任してその後21年に渡る海外生活
    になったのは、意識的に改善提案がキッカケになったのでしょう、、

    今日のガレージでの改善提案数件、どれもお粗末な初期レベルですが
    昔の思い出が巡りました。
     僕が20代を過ごした昭和の時代はモーレツからビューティフル、
    イケイケドンドンの頃で前ばかりを向いていた時代でした。
    今の時代とは少し違っていますね、、 

      以上、、
     


Viewing all articles
Browse latest Browse all 1912

Trending Articles